日本百名山 あといくつ登れるかな

 2005年5月、上高地へ家族と観光旅行に出かけた。確か四回目の上高地である。
 河童橋周辺は、観光客や、自分と同年代の中高年登山者があふれていた。ビジターセンター前には望遠鏡が置いてあり奥穂高岳山頂を見ることができた。あの頂上に自分のような者でも登ることはできるのだろうかと、ふと思った。それが全ての始まり。
 帰京後、日本百名山を知る。8月盛夏、筑波山でトレーニングを開始し、最初は片道登るのがやっと、下りはケーブルカー利用の体たらく、それでも天気がよければ毎週のように通い続けた。
 成果を見るために11月初冬谷川岳へ登る。天神平まではロープウェイで、肩の小屋への登りは辛く休みながら登る。下山後、紅葉の林道を通って、有名な一ノ倉沢まで足を伸ばした。恐ろしいまでの岩壁の迫力と残雪、紅葉の美しさに魅せられ、いっぺんに山歩きが好きになった。
 年末にかけて、赤城山、大菩薩峠、丹沢山、年が明けて2006年春、那須岳、日光白根山、男体山、瑞垣山、金峰山に登り、夏になり、至仏山、祖母山、久住山、富士山に登った。そして山歩きを始めて一年目の8月盆休みに、2泊3日の涸沢テント泊で念願の奥穂高岳へ登ることができた。
 以来、百名山66座を単独で登り続けたが、定年後の現在は暇にこそなったが、体力の衰えや家庭の事情もあり、かえって山へ行くことができないでいる。

2015年夏