日本百名山 あといくつ登れるかな

 2006年夏 山歩きを始めて1年、盆休みを利用して念願の奥穂高岳登山を計画。 一人用テント、シュラフ、エアマット他を購入し、涸沢に2泊3日するベースキャンプ方式での登頂を目指した。単独行であり全部を40Lの小さめのザックにパッキングするのは難しかった。


上高地~横尾

 8月13日(日) 夜中に東京を出発して、沢渡の駐車場に着いたのは朝5時、タクシーで上高地へ、6時から歩き始める。
 横尾9時、本谷橋10時半、ここから本格的な登りが始まる。山歩きを始めて1年、装備一式を担いたのは初めてでその重さに悲鳴をあげる。
 途中休憩を何度も取りながら13時頃にやっと涸沢に着いた。


涸沢

 テント場の受付は15時からで、適当に場所を見つける。涸沢ヒュッテからはかなり下った貸しテントの近くを選んだが、トイレが遠く不便だった。
 寝床もできたので、昼飯代わりにヒュッテでおでんとカレーを食べビールを飲む。ヒュッテの展望テラスで靴を脱ぎ足を伸ばして横になり、いっぱしの登山者気分に浸った。夕食は持参の食材で料理をしたが、調味料を忘れ味の無い料理となったが我慢して口に押し込んだ。近所のテントに借りに行けば良いのかもしれないが、気が小さい偽山屋の自分ではとてもそんな芸当はできない。
 明日の朝食にアルファ米を準備しさっさと寝袋に入る。 床が石畳なので銀マットとエアマットを敷いてもまだ固く、外界との間にあるのは薄い布だけ、慣れない環境になかなか寝付けなかった。


ザイテングラートへ

 8月14日(月) 5時前に目が覚め、モルゲンロートを見る、良い天気だ。
 朝食は、飯とインスタント味噌汁。 味付けご飯のアルファ米はなんとか膨らんでいたがとても不味い。食べて元気を出そうとしたが、途中でギブアップして残した。
 6時前に奥穂高岳へ出発、涸沢小屋前から登りに入る。この小屋はパンが有名らしく寄って食べたかった。7時半にザイテングラートへ入る。小屋からザイテングラートまでは意外と距離がありくたびれた。岩場で幼稚園児ぐらいの男の子が下りてきて驚いた。勿論、父親と一緒だったが、幼児なのに日に焼けて妙に筋肉質で、器用に手と足を使って身体を大きく伸ばしながら岩稜を下りてくる姿をみて感心した。
 あんな小さな子供が登っているのに、大人が弱音を吐いていてはいけないと反省。

奥穂高山荘

 9時頃に奥穂高山荘に到着しトイレを借りる。3000mの山小屋に水洗トイレがあるのに驚いた。トイレの奥は結構な崖で手摺りも無く夜は怖いだろうと思う。初めて見る飛騨の名峰、笠ヶ岳の端正な形が美しかった。

山荘~奥穂高岳頂上

 小屋横の石畳から頂上への登りに入る。 なんとか最初の岩場と鉄梯子を切り抜け槍ヶ岳が見える有名なビューポイントに出て写真をとる。
10時過ぎに山頂に到着。途中まで綺麗にみえていたジャンダルムがガスに隠れてしまった。山の天気は変わりやすい。
 頂上の社には登山者が次々に腰を下ろしていて、ロシア人の女の子も登っていた。母親らしい女性が彼女の写真を撮っていて、今では見かけないキスリングのザックを担ぎ、二人で吊尾根の下山道を軽やかに歩いて行った。
 本格的な岩場は初めてなので下りに不安があり、自分も休憩もそこそこに下山を開始した。
 心配な岩場もこなし、なんとか山荘まで下りることができたので、カレーライスとホットココアを頼んで昼飯にする。お土産にバンダナとTシャツを買った。近くに見える涸沢岳にも登ろうかとも思ったが、今日はこれで十分安全第一と考え下山を開始した。

山荘~涸沢

 下山途中の雪渓で、転んで怪我をし倒れている人がいて騒ぎになっていた。暫く見ていたら涸沢から救助隊が数人登ってきた。ヘリポートにはこの人を運ぶための救助ヘリもやって来ていた。
 翌日、下山後の上高地登山相談所で、しきりにお礼を言っている旦那さんが松葉杖の御夫婦を見かけたが、もしかして救助されたのはこの方だったのかもしれない。

さらば涸沢

 13時半テントに戻った。まずい食事を作る元気も無く涸沢ヒュッテで夕食と翌日の朝食を頼んだ。ヒュッテの夕食はハンバーグでとても美味しかった。小屋に泊まった経験がないので全てが物珍しかった。食堂だけの利用だったが、設備と従業員の動きをみて、なるほどこれが日本トップクラスの山小屋なんだと納得した。

 8月15日(火)朝6時過ぎにテントを撤収する。
 景色を目に焼き付けながら、またすぐに涸沢に来ることが出来そうだ今度は北穂高岳に登ろう、などと脳天気な事を考えながら帰路についた。